広告ミュージアム
Sonus faber 
 ELECTA AMOTOR
 MINIMA
 


ヴィツェツァの だまし絵のなかで


イタリアのヴィツェンツァにあるルネサンス時代の劇場テアトロ・オリンピコの客席背後にはぎっしりとならぶ
ほぼ等身大の大理石の彫像の列があって、その上にもまたおなじような列がある。
さらにまたその上にも同じように像がならぶ。
観客は舞台を眺めているあいだこの何十何百という大理石像の眼にその背中をさらしているのだ。
いったいいくつの像があるのだろうか?
数えてみようとしたら、最上層の像の列だけが彫像ではなくて、だまし絵であったことに気づく・・・・・
彫像をもう1列分つくる手間を惜しんだわけでもあるまい。
これは建築家パラディオがこの劇場の観客にたいして仕掛けた無数の「謎」のひとつなのではないだろうか?
観客はこの劇場に入ったとたん、どこにどんな「謎」が仕掛けられているかわからないという知的な緊張を強いられる。
この「謎」はステージで演じられる芝居よりおもしろくて、観客はとても芝居なんかに集中してはいられない・・・・・
いや、もともと観客だってステージだけを楽しみにやってきたわけではないのだ。
建築家の「謎」を、そこで出会う友人たちが会話の中に仕掛けてくる知的な「謎」を、
そしてもちろんステージの芝居が投げ掛けてくる「謎」を、次から次へと受け止めてそれを解き明かして投げ返す・・・・・
ルネサンスのイタリア人はそんな「遊び」を繰り返しながら、
あの繊細でありながら強靭な感性と知性を磨き抜いていったのではないだろうか・・・・・?

たとえばマーラーの交響曲第5番をソーナス・ファベルは決して音のシャワーのようには鳴らさないが、
そのかわり、この世紀のはざまに生きた音楽家がわたしたちのために用意してあった「謎」の
存在を浮かび上がらせている・・・・・いったいあのファンファーレはなにに向けて鳴らされたものだったのか?
かれにとって、ボヘミアとはいったいなんだったのか?
・・・・・ソーナスと過ごす時間はいつも知的な緊張感にみちている・・・・・


●ELECTA AMOTORは1988年頃に発売しました。詳細はコチラ
●MINIMAは1990年7月に発売しました。詳細はコチラ